孤独の溜まる宿 - 2/2

第一話

 

「やばいっっっっ!!!!」

 とあるアパートにて、実に深刻そうな叫び声が響く。
 アパート内では、かつて梟谷のMr.器用貧乏と呼ばれていた男、木葉秋紀がわかりやすく頭を抱えていた。
 その視線の先にあるのは、預金通帳。
 限りなく桁の少なくなってきた残高を前に、もう一度小さめの声でやべえ、と呟いた。

 勿論彼は器用貧乏かつ要領も頭脳も悪くない男だ。
 だらけていたら金がない、なんてことはもちろん無く、ちゃんとした理由があって現状困窮に瀕している。
 それというのも、今まで彼が働いていたバイト先である居酒屋が突如倒産、夜逃げ同様に店がなくなってしまい、当月の給料の支払い……木葉の一か月分の生活費の半分を占める給料は未払いのままだった。
 とりあえずは貯金でどうにか生きるつもりだし、すぐに次のバイトも探したが、一か月後まではモヤシ生活を余儀なくされることだろう。
 無駄にモヤシ料理のバリエーションが増えちまいそうだぜ……なんて言ってる場合でもない。食べ盛りの大学生にこれはキツい。
 日雇いのバイトでも探して一旦凌ぐのも有りか、なんて考えていると、ふと木葉のスマホがティロリン、と通知音を鳴らした。

「あ、瀬見じゃん」

 送り主は瀬見英太、宮城の強豪白鳥沢学園出身のセッターで、現在は学部は違えど同じ大学に通っている。
 宮城から出てきたばかりで都会に戸惑っていた瀬見を、持ち前の面倒見の良さであれこれ世話を焼いているうちに誰より連絡を取るようになっていた。
 高校生の時のメンバーも皆違う進路で、見知った顔に安心したのは木葉のほうも同じだったんだろう。
 変わらない距離感で、比較的近い価値観で、腹の底から笑いあえる友人は貴重だと木葉は……瀬見も、そう思っている。
 そしてそんな瀬見からのメッセージだったわけだが。

『よっ木葉! 突然なんだけど夏休みに住み込みで一週間のバイトとか興味ねえ?』

 今の木葉にしてみれば渡りに船といった話だが、まあひとまず話を聞かせろ、と頼んだ結果、こういうことらしい。
 曰く、瀬見のバイト先のピザ屋が使っていた食品の影響で営業停止になり、バイトは暫く休んでくれと言われたそうだ。
 とはいえ、休んでも金は発生しないしどうしたもんか、と思っていたらちょうど帰り道でバイト募集のビラを貰ったらしい。
 短期の住み込みで、温泉宿の下働きをしてほしいというバイトだ。
 繁忙期のみ、人手が足らないからこうしてバイトを募集しているらしく、体力のある方・呑み込みの早さに自信がある方は是非! と書いているのを見て、木葉が浮かんだ、と瀬見は言う。

『少し遠いからバイト兼旅行みたいな感じでさ。出稼ぎ旅行みたいな? まあでもお前もバイトあるだろうし、タイミングがあったらどうかなって思ってさ』
『いや、ちょうど俺のバイト先が潰れた上に給料未払いで普通にめちゃくちゃ困ってたから寧ろ助かるわ』
『ならラッキーじゃん、住み込みだからまかないも出るし、客の後なら温泉も入っていいらしいし、休み時間は近くの観光スポット見に行けるし、仕事が終わって帰るときに給料は現金手渡しで貰えるらしいぞ』
『なんだそれ天国か!? 乗った!!』

 夏休みなんかの繁忙期前はこういう臨時バイトが増えることは知っていたし、ひとまず応募してみるか、と二人は速攻で履歴書を送った。
 給料も条件も良かったが、それは恐らくその宿があるのがかなり山奥だからだろう。
 山奥の秘湯、という売り文句らしいその宿は、近隣の観光名所から少し離れた位置にあるので、アクセスに難があった。
 その代わり、宿代は観光名所の中にあるような宿に比べてかなり良心的に設定されていて、多少歩いてでも費用を安く抑えたい若者や人目に付きたくない旅行者……まあ言ってしまえば不倫なんかの隠れ蓑にもぴったりで、客足はそれなりに多いそうだ。
 短期バイトの募集枠は五名程だったので、受かるかどうかは正直微妙だったのだが、ふたりは見事当選した。
 お祈りメール来なくて良かったな! と二人で元気よく手を叩きながら喜び、住み込みで働く荷物の準備に取り掛かる。
 高校時代からの遠征の多さのおかげで旅支度の早さに自信ありの二人はあっという間に荷物を固めて、バイト当日を心待ちにするのだった。

 あっという間に一週間後となり、二人は大学からそこそこ離れた土地の駅に立っていた。
 すっかり都会の街並みに慣れきっていたふたりにはまあまあ新鮮な、絵に描いたような田舎の町で、町というより村という表現のほうがしっくりくる。
 宿はこのまた更に奥であり、当たり前のようにバスも一日数本しか運行していない。
 が、駅を降りてすぐは比較的観光客で賑わっていて、ホテル(というには少し小さいが)のようなものもそれなりにあった。

「ここの観光名所って何だっけ?」
「なんかでっかいしめ縄が有名な神社じゃなかったか? それと温泉」
「へー、休み時間に見に行けたら良いな」
「ダメでも帰る時に寄ればいいじゃん。あと地鶏の唐揚げと、山菜の天ぷらが有名なんだと」
「まじか! つーか瀬見めっちゃ調べてんな、意外」
「俺が調べもの苦手っつっても観光地についてさらっと調べるくらいは出来んだよ流石に」
「悪い悪い」

 軽口を叩きながら時計を見る。
 バイトは今日の夕刻からスタートで、現在はまだ昼一だ。
 寧ろ観光するなら今なのでは、と呟いた木葉に、よしきた! と瀬見は早速地図アプリを開く。
 駅から少し歩いたところに商店街が、更にもう少し歩けば温泉街、そのまた向こうに観光地といわれる神社があるようで、さくさく歩けば全部見て回っても余裕で定刻通り宿に着くことが出来るだろう。

「よっしゃ! じゃあとりあえず商店街からな! お土産も見ようぜ!」
「今は金ねーから帰りだけどな! あと普通に荷物になるし」
「ははっ! 切ね~~~!! 木葉金なくてヤバイって言ってたけどそのレベルでやばかったのか?」
「マジで暫くモヤシ生活だったからな……!! ギリギリで日雇いのバイト何個かやってきたから多少は食い繋げたけどマジでどうなることかと思ったぜ」
「大変だな! 今日の昼飯奢ってやろうか?」
「そんくらい払えますーー!!」

 二人でやいやい騒ぎつつ商店街を冷やかし、地元の食材をふんだんに使った料理が出るらしい食堂へやってくる。
 電車では二人揃って寝ていたせいで昼ご飯を食べそびれており、既に胃は悲しげな爆音を轟かせていた。悲しげ?
 木葉は地鶏の唐揚げ定食、瀬見は山菜の天ぷらと鮎の塩焼き定食を選んで、互いに少しずつシェアしたり奪い合ったりしながら楽しい昼食を過ごす。
 地元の人たちらしいご老人に若い人が来てくれて嬉しいよ、と歓迎されたり、どこどこの温泉がおすすめだよ、と教えて貰ったりしつつ食堂を後にして、次は温泉街へ向かった。
 温泉街は商店街よりも旅行客で賑わっていて、瀬見や木葉くらいの年の人間は勿論、家族連れや中年の夫婦なんかも多い。
 先程地元の老父に教えてもらった日帰り温泉の暖簾を潜り、二人は早速温泉を満喫した。
 肩こり腰痛なんかのよく耳にするような効能はもちろん、飲めば胃腸にもいいらしいと書いてある説明書きを眺めつつ、ふたりは露天の岩風呂に浸かる。
 ここへ来るまでの疲れが吹っ飛ぶようで、心なし体も軽くなった気がした。

「いやーなんかもう普通に旅行だな!!」
「まあ今から楽しい労働のお時間だけどな」
「言うなよ木葉~」
「何しに来たか覚えてるか?? 金稼ぎに来たんだよ俺らは」
「覚えてっけど、楽しむところは楽しまねえと損じゃん」
「それはそう」

 温泉でしっかり汗を流し、風呂上がりの牛乳を飲み干す頃にはそれなりに良い時間になってきていた。
 卓球する時間はなさそうだな、と笑う瀬見にそこまでやる気だったのかよ、と木葉がツッコミつつも着々と出る支度を整える。
 温泉を出て、バイト先の宿まで歩を進めていくと、どんどん田舎道から山道へと変化していった。
 アスファルトなんかもうとっくに敷かれておらず、砂利道は確かにバスすら走るのが億劫になるであろう道だったが、二人はどんどん登っていく。
 本当にこんな道の先に宿があるのか怪しく思えるような道だったが、時折ぽつん、ぽつんと立っている電灯と古ぼけた案内看板のおかげで道を間違えたわけではなさそうだと確信できた。
 歩き出して30分くらい経っただろうか、先程浸かった温泉よりも更に濃い硫黄の香りと、建物の影が見えてくる。

「お、アレじゃね?」
「だな! 思ったより遠くなくて助かったぜ!!」
「それは俺らがゴリゴリの体育会系だからであって普通の人からしたら十分な距離だぞ瀬見……」
「そうか?」
「流石は天下の白鳥沢さんだな」
「何をおっしゃいますやら春高準優勝だった梟谷さんよ」

 軽口を叩く余裕を見せつつ、目的地である宿……林檎荘の門扉を潜る。
 入ってすぐの庭には大きく立派な林檎の木が生えており、この宿の名前の理由を早速察した。

「いらっしゃいませ、林檎荘へようこそ!」
「あっすいません俺ら客じゃなくて……短期バイトの募集で来ました、瀬見英太と」
「同じく木葉秋紀です!」
「あらあら、そうでしたか! バイトは夕方の六時から開始なのよ、まだ一時間くらいあるから……先に館内と、貴方方の宿泊部屋に案内するわね」
「よろしくお願いいたします!!」

 二人を出迎えたのは、三十後半くらいだろう女性だった。
 美しい黒髪を丁寧に団子に結い上げ、きっちりと襟元を正した着物を着こなしており、佇まいからもう美しい。
 彼女ははんなりとした笑顔を浮かべて自分はここの若女将をやらせて頂いてます、と挨拶をした。

「申し遅れましたが、私は林檎荘の若女将、古崎葛葉こさきくずはと申します。女将は今不在でして、私が主に取り仕切らせて頂いてますわ」
「あ、そうなんですね! えと、女将さんは……」
「ああ、もう年で少し腰を悪くしまして。この町は年寄りばかりなので珍しいことでもないんですけどね。心配するほどのことじゃありませんから大丈夫ですよ」
「もしかして、それで今回バイトを?」
「ええ。女将は特に働き者でしたから……正直、私がこの宿の従業員では若いほうなこともあって、次また誰がいつ体を壊してもおかしくない状態ですのよ。ジジババばかりですからね。だからいっそ若い子を呼んで短期バイトでも応募してみないかってことになりまして」
「なるほど……」
「ふふ、貴方達くらいの若い方をバイトに呼んで、この宿を知って貰ったら、いつかのお客さんが増える可能性もありますしね。バイトは勿論頑張って頂きますが、休み時間は是非この町を楽しんで、お友達にこの町のことを教えてくれたら嬉しいわ」

 SNSとかもよくわからないし、ホームページの作り方なんてもっとわからないしねえ、と朗らかに笑う彼女に、瀬見も木葉も任せてください、と笑った。
 確かにこの時代だとネットであれこれ出来ないと若い子世代への広告は難しいだろう。
 だけど、だからこそ知る人ぞ知る秘湯、みたいな触れ込みで人から人への口伝でも意外と人の耳には触れるものだ。
 特に、みんなが知らないような場所を求める人は、いつの時代も一定の数はいるものだから。

「ここがお二人の部屋ですよ。離れですし客室よりは少々手狭ですけど、仕事後に使うお部屋としては申し分ないかと思います」
「わ、こんな良い部屋でいいんですか!?」
「ていうか二人部屋ですか? てっきりバイトは大部屋に雑魚寝だとばかり」
「うちのお宿はそこまで横に広くないので、大部屋はそれこそ食事会場のお部屋くらいしかないんですよ。母屋は客室しかありませんが、住み込みの者はこちらの離れに皆暮らしています。勿論他のバイトの方もおりますので、大騒ぎはお控えくださいね」

 それはもう、と二人が頷いたのを確認してから、荷解きが終わったらまた母屋のほうへお越しくださいませ、と古崎はひとりで戻っていった。
 部屋は8畳ほどの広さで、そう大きい部屋ではないものの、大きな窓からは美しい山の景色が一望出来るし、部屋そのものも綺麗で、小さな冷蔵庫や金庫、テレビも置いてあるため、普通に客室みたいなもんじゃん、と木葉は嬉しそうに自身の荷物を下ろす。
 恐らく客室ミニチュアバージョンみたいな感じで、客と違ってベッドメイクとか掃除は自前でやるからこそ使える部屋なんだろうな、と瀬見も満足げに部屋をくるりと一周した。

「つっても俺ら、遠征で荷解きとかも超慣れてるから五分で終わりそうなんだよな」
「……あんまり早く行き過ぎてもかえって迷惑になるかもしれねえし、少し時間潰してから行くか」
「だな! 木葉~お茶飲むか? 急須ある!」
「あ、茶菓子もある……至れり尽くせり……」

 荷解きは結局三分で終わり、二人は部屋に備え付けのお茶セットで地元のお茶と茶菓子を嗜む。
 一服してから、机の上にこれ見よがしに準備してあった制服と思われる作務衣に着替えて、言われた通りに母屋に向かった。


「あら、お早いのね! 他のバイトの子達はまだ準備してるけどお仕事内容は分かれる予定だったし……先に開始しちゃってもいいかしら」
「はい! よろしくお願いします!!」

 他のバイト達はちょうど数刻前に到着しており、今部屋で荷解き中らしい。
 古崎に俺たちみたいな臨時バイトって何人いるんですか、と瀬見が尋ねるよ、二人を含めて全員で四人らしい。
 瀬見達の泊まる部屋の隣がその二人の部屋だそうだ。
 バイトの業務種類として、瀬見と木葉はベッドメイクや清掃、配膳や買い出しなんかの力仕事による雑用で、残りの二人は主にキッチンに入り調理や洗い物をメインとしてやるらしい。
 じゃああんまり顔合わせることもないのか、なんて木葉が思っていると、ふと瀬見が手を挙げて質問する。
 
「四人だけで足りるんですか?」
「そうねえ、繁忙期の一週間だけだし……他の従業員は皆歳だけど仕事には慣れているから、若い子が四人も来てくれただけでも十分足りると思うわ。お客様の予約が満員になったから臨時バイトを雇ったけど、普段は私たちだけでも回せているわけだしね」
「なるほど。一生懸命頑張ります!!」
「二人ともやる気があって嬉しいわ! じゃあ、早速仕事の手順を教えつつ館内を回っていくから着いてきて頂戴」
「はい!」

 というわけで、二人は古崎の後ろを着いて回りながら館内を概ね把握していき、仕事内容についても大体の理解を済ませる。
 力仕事と雑用ばかりなので、寧ろ短期バイトとしてはやりやすい部類だ。
 勿論、基本的なお客様のお出迎えの時の作法も教えて貰い、館内ですべき仕事は概ね頭に叩き込んだといえる。
 早速瀬見は山へ芝刈り、木葉は川へ洗濯……ではなく、瀬見は客室の掃除を、木葉は商店街に備品の買い出しへそれぞれ赴いたのだった。


「っし、綺麗になったな!」

 ひとりでチャキチャキ掃除を熟していた瀬見は、ようやく頼まれていた部屋全ての清掃を済ませて軽く汗を拭う。
 いつだって全力な彼は掃除も一切手を抜かない。
 とはいえ、元々そこまで汚れていたわけでもなく、使い終わった部屋の清掃と、アメニティの差し替え、タオルや浴衣を新しいものに取り換えて綺麗に揃えるなど、マニュアル通りに進めただけだが。
 部屋数は多くないとはいえ一人でやるとなるとまあまあ重労働で、元気いっぱいな元全国クラスのバレー部所属だった瀬見にとってはちょっとした運動感覚でも、地元のお年寄りにはかなりきついことだろう。
 臨時バイトも雇うわけだなこりゃ、と一人で納得しつつ、少なくなってきた部屋の茶葉を補充していると、ふと後ろのほうからカタン、と物音がする。
 当然振り返るが、しかし、そこには誰もいない。
 風でも吹いたかな、と窓を確認してみるが、そもそも先ほど戸締りチェックでしっかり鍵が掛かっているのを見たばかりだ。

「んー?」

 気のせいか? と瀬見が再び作業を再開したその時。

 カタカタ、と再び何かの音がした。
 今度はその瞬間に音のほうを向いたが、しかしやはり誰かがいる、なんてことはなく。
 流石に眉根を寄せた瀬見の耳元で、小さな笑い声のような音が響いた。

「ッ、」
『……あはは、っはははは!!!!』

 楽しそうな、しかしどこか冷たさを感じる笑い声だけが部屋にこだまする。
 瀬見以外の誰も、この部屋には居ないのに。

「え……そんな、」

 背筋が凍るような、そんな出来事を前に思わず瀬見は立ち尽くす。
 ごくり、と唾を飲む音がやけに大きく聞こえたような気がした。
 
 誰のものともわからない、男か女かもわからない、認識出来ない……明らかに常軌を逸した状態で、おもわず瀬見は叫ぶ。


「俺今日は別に私服じゃねえしそんな笑われるほどダサくはねえだろ!?」


 ……この場に木葉がいれば『この明らかにホラーな状況で私服のダサさを笑われてると思えるのは逆に才能だろ……そのまま伸ばしてけよ、そのうち長所として履歴書にも書けるしいずれガンにも効くんじゃね』とか死ぬほど雑につっこんでいただろうが、残念ながらいなかった。
 クスクス、げらげら、と多種多様な笑い声は、やがて急に鳴りを潜める。


『あんたはさぁ、どっちだろうねぇ』
「え、」
『こっちだったら歓迎するよ、ツラのいい男は大歓迎さ』
「は!?」
『さあどうだかねぇ。もう片方の子も中々……でもこういうのは取られちまうからなぁ』

 よくわからない声は、笑い声と共に徐々に聞こえなくなっていく。
 気付けば声は完全に聞こえなくなって、その場には呆然と佇む瀬見だけが残った。
 今この部屋でたくさんの笑い声やら謎の声に話しかけられたのだ、とか言おうものなら頭の病院を勧められるに違いないと思えるほどに世界はいつも通りで。

 ただ、彼の記憶にのみ、奇妙な出来事は嫌なしこりとなって残る。

「……慣れねえ場所だし、そういう妖精とかいるのかもな! っし、次の仕事しねえと!!」

 ……しこりとなって残る筈だった、が、なんというか、まあ、相手がちょっと良くなかったかもしれない。

 瀬見的には誰も居ない状況で突然笑われた上に意味の分からないことを言われたなぁ、で終わってもいいらしい。終わるな。
 この辺田舎だし妖精とかそんな感じのやつの悪戯だろうな!! で済ませてしまった瀬見だったが、どちらかといえば妖怪だろうそれは、と突っ込んでくれる優しいチームメイト(準妖怪や毒舌後輩)が不在なので仕方ない。

 ふんふふん、と鼻歌を歌いながら続いて庭の掃除をすべく外に元気に駆け出して行った。



 
 一方その頃木葉はというと。

「すいませーん!! ビール二十本お願いします!! アサヒとラガー十本ずつで!! と焼酎二本ずつ!! 芋と麦と蕎麦で!! あ、醤油とみりんも下さい!!」
「はいよぉ、っていうか大丈夫? 全部持てる??」
「鍛えてるんで!!」

 先程瀬見と見て回った商店街で、酒やら調味料やらの重たい荷物をメインで仕入れをして回っていた。
 宿から貸し出された改造自転車で山道を爆走しながら商店街に到着、その後は速やかに頼まれていた買い出しを片っ端から済ませている。
 宿だけあって、酒の調達がメインとなるあたり、やはりお年寄りだけの従業員だとしんどいんだろうな、と息すら切らさずに彼は思った。
 ただ、商店街にはまだそこまで年のいってない人も多い。
 であれば、どうして配達をお願いしないんだろう、と少しだけ不思議に思った。
 いや、都会であればそれこそ某ウー〇ーだの出前〇だの選り取り見取りだろうが、田舎だとそういうのはそもそも当たり前に圏外である。
 商店街の人達だって自分の仕事がある以上、やはり簡単に配達は出来ないんだろう。
 田舎は穏やかでゆったりとしたイメージがあったけど、その実で都会よりも案外忙しないのかもしれないな、なんて思いながら買い物メモをひとつずつチェックしていった。基本的に几帳面な彼は、流石の器用貧乏でかなりの大荷物を綺麗に荷台に収めていく。
 
 そして、買い物をしているうちに、ひとつ気になることも出来てしまった。


「あとは……青果店でデザート用の果物の仕入れだな」

 すぐ近くだった青果店まで行って、頼まれていた果物を注文すると、朗らかな老婦人は随分元気な学生さんが来たねえ、頑張ってね、とおまけだと言ってその場でスイカを一切れ分けてくれた。

「あざす!! いただきます!!」
「甘くて美味しいわよ! 見ない顔だけど、バイトの子?」
「そうっす! あ、こっちに領収書をお願いします! 名前は林檎荘で!」
「!! っそう、あそこの……」
「……」

 なんというか、どの店の人も『林檎荘』の名前を出した瞬間、少しだけ違和感のある反応を返すのだ。
 それも、あまり良くないほうの。

「……あの、林檎荘って何かあるんスか?」
「え、」
「どの店でも、似たような反応をされるので」

 普段は誰とは言わないがぶっこみ担当がいることで目立たないものの、木葉も基本物怖じせずに気になったことは普通に尋ねるタイプである。
 眉を顰めてわかりやすく関わりたくないという顔をする人、目の前の婦人のように気まずそうな顔はするが木葉自身には普通に接しようとしてくれる人……様々ではあるが、態度が変わった全てのタイミングは『林檎荘』という名前を出した時からだ。
 最初こそ、都会から来た若いもんは扱いが難しいから近寄らんとこ! くらいな意味だと思っていたが、こうも続くと普通に不審である。
 柔らかかろうがなんだろうが、これらの対応の根っこにあるのは恐らく『関わりたくない』だ。
 そのくらいの空気は読める、木葉だし。
 空気を読んでしまった以上、理由を知りたいと思うのは実に自然の摂理だった。

「……ごめんなさいね、別に君が悪いわけじゃないのよ」
「!」
「ただ……この辺の人たちは皆、あのお宿に良い感情をあまり持っていないの」

 青果店の婦人は、少しだけ声を落として、それでいて申し訳なさそうな声音で木葉にそう返す。
 良い感情を持たれていないのは気付いていた。
 閉鎖的な町で良くある、外からの風を嫌うご年配の方はどこにでもいるだろう。
 変化を嫌い、頑固なまでに外と関わるものを忌避する人たちがいるのも、知っている。木葉だってそれなりに勉強もしている大学生だ。
 しかし、彼女のそれは、思っていたのとはまた少し違うように思えた。少なくとも木葉には。

「……何か、理由があるんですね?」
「……」
「大きな声で言えないような、理由が」
「……みんな、怖いのよ」
「!」
「…………言えば、関われば、次は自分なんじゃないかって」

 ちょうどそのタイミングで、次の客が来てしまったため、彼女はそそくさと店に戻る。
 木葉は貰ったスイカを食べ終え、備え付けのごみ箱にスイカの皮を投げ入れてから荷物を持って店を後にした。

「次は自分……? 何が……?」

 良くわかんねえけど、何かあるって思っといたほうがいいかもな、と。
 戻り次第瀬見に共有しとかねえと、と彼は少しだけ警戒心を強める。かなり奇怪な出来事にも関わらずきっと妖精さんの悪戯ね☆ で済ませていた某S見さんも少しは見習ってほしい。
  
 ともあれ、人並みに危機管理能力が仕事をしている木葉は足早に宿に向けて再び改造自転車を漕ぎだしたのだった。


「へー、ここが林檎荘かぁ。思ったより結構山奥じゃーん」

 大きな林檎の木を前に、一人の青年が機嫌良く立っている。
 どうやら旅行客らしい彼は、駅からここまで歩いてきたようで、その手には大きなキャリーバッグを持っていた。
 ブブ、と小さく鳴るスマホに、電波も通ってて安心だね、なんて言って画面を見遣る。

「着いたよ、と。……いやぁしかし岩ちゃんも勿体ないねえ、こんな良い宿へのチケット当てたくせに仕事で行けないなんて」

 青年は無駄にキメ顔の自撮りを一緒に添えてメールを返した。
 そして、甘いマスクを柔らかく綻ばせて、微笑む。


「ま、せっかく譲ってもらったチケットだしね! 久々の帰省、お言葉に甘えてゆっくり温泉で休ませてもらいますか! お土産たくさん買ってってあげよっと!」


 サマーホリデーで一時帰国中の青年……及川徹は、幼馴染の気遣いに顔を綻ばせながら、目前の宿へと足取り軽く歩んでいった。

 

 さぁ、この夏の役者は揃った。

 当然何も起きないはずもないが、彼らの行く末は果たしてどちらだろうか。


 それは、まだ誰にもわからない。


 続く


 今年もやってきました!!! 夏!!!
 初心に戻って(?)妙な館~若干の因習村スメルを添えて~みたいな感じにしたかったんですがどうなるかは私にもわかりません!! むしろだれか教えてくれ!!!
 とはいえ今年も楽しんで書きたいと思うのでよかったらお付き合いくださいませ!!

いりあ

 

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